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土山ろまん第8号

往時の賑わいをよびもどせ!! (表紙)


うかい屋さんが旧宿場町に新しい店を昨年十二月にオープンして早くも四ヶ月過ぎました。以下インタビューを試みました。


おばあちゃんいわく、「昔の学校の教え子が何十年かぶりに来てくれやはるんです。そんな時は本当に嬉しいですね。また歩く旅の人が親切にしてくれて有り難いと一言いわれたとき、この店を息子がやってくれて本当に良かった。」 奥さんいわく、「旧東海道を車なしで歩く人って結構いるもんですねー。前からここに住んでいるけど、関東方面の人が鈴鹿峠を歩いて越えてくるんです。全然気が付かなかった。そして、店の行灯を見て入ってこられる。」 お客さんいわく、「丁度コーヒーが飲みたいと思っていた所ですよ。」 娘さんいわく、「古い町並みが好きな人がようけいやはるとは。」 店内のらくがき帳より『坂は雪雪、鈴鹿は大雪、あいの土山雪が降る、武平峠は多分大雪、帰りの鈴鹿峠はあったかい。』


百年、二百年前は東海道でも有数の宿場町で活気づいていた土山も今は閑散としています。お茶の前田製茶さん、うかい屋さん、そして商店の皆様、往時の賑わいを今一度呼び戻してください。


前田製茶本舗 うかい屋

街道を歩いてみなはれ! (2面)


「なあなあ、ちょっと見てみ。この家、何か看板がかかってるで。」


「なになに、きぬ屋って書いたーるね。ふーん、別にお店でもないのになあ。」


「あれ! こっちの家にも池田屋って書いたるーで。」


「あっ分かった。これ屋号っていうやつとちゃう。ほら、昔からのお店の名前のこと。」


「ああ、時代劇なんかで出てくる伊勢屋とか、越後屋とかいうやつ?」


「まあ別に時代劇だけやないけど。今でも使こてるとこいっぱいあるで。」


「まだそんなとこあんの、古くさ!」


「別に古いこともないけどなあ。松坂屋ちゅうデパートの名前もあるし、平和堂とかパルコなんちゅうのも現代の屋号やないの。」


「あっ、そうか。ほんなら商店街なんかのお店の名前はみんな屋号ちゅうわけや。」


「そういうこっちゃ。それにしてもぎょうさんのお家に看板がかかってるやんか。」


「そんなにはお店もないのになあ。ちゅうことは・・・」


「昔はいっぱいお店があったんとちゃうかなあ。」


「そういうたら、この看板には質って書いたーるで。」


「質屋さんやったちゅうことか。これみんな今でもお店をしたはったら、賑やかな町やろね。」


「せやね、せやけどなんでそんなに多かったん?」


「そら昔はここは東海道の宿場やったからやんか。」


「ふーん、今は昔っていうやつやな。」


「そうでもあらへんで。今は今でそれなりに頑張って感じのええ町になってるやんか。ほら、そこにも昔風の感じええ家があるやんか。」


「そう言われたら、この看板を見て歩くだけでもおもろいなあ。よおし、看板を探して歩いてみよか。」


「そらええわ、いこいこ。」


看板「籠忠」 看板「扇屋」

【土山歴史発見】石川五右衛門、土山の白川で追剥ぎをする・・・ (4面)


望月 保


時は分禄元年、豊臣秀吉が朝鮮征伐を始めた年である。我々の近くにある白川で、世尊寺中納言秀忠という高貴な人の衣裳を剥ぎ取り、それに刃向う家来二人を殺し、奪った衣裳を翌日に、京都に居る関白内大臣秀次(豊臣秀吉の甥)の御殿入口に捨て置くという一事件があった。


これは天下の大泥棒石川五右衛門の巧妙な策略であったのである。


秀吉が朝鮮征伐を行うため、全国の大名小名は多くの家来を引連れ九州肥前の名護屋の基地へと出陣し、城主が留守になる城が殆どであった。当然水口の城(岡山城)も城主長束正家は有力なる家来を率いて出陣したのである。城に残ったのは家老と一部役人だけである。えてして、城主の留守の間という時は、役人たちも気を抜き、巡視巡廻の勤めも怠りがちになるのが通例になる。この様な時を利用して、五右衛門は、全国を隠目付と名のり、秀吉の近習を装い、五十人の手下に武士の衣裳を着せ、城主の留守城に入り、家老役人どもを脅かし多額の金品を出させる策謀をたてたのである。五右衛門一党は、水口の城に入るや目付役を名乗り上座に着座し、昨日起こった白川での一件につき門糺し、どのように対応したかを問うたが家老を始め誰も答える事ができなかったのである。五右衛門言うのに「この怠慢なることが、予て年貢の供出に不平を持つ百姓どもが、豊臣家の耳に伝わる事があれば、汝等は当然、城主長束殿は重罪を免れることはできないぞ。しかし本日は拙者は隠目付として全国を巡視している身である。」と言って暫く黙っていると、家老付役人達は、恐れふためいて多くの金品を提供し、許しを乞うことになった。五右衛門、これを受取り、次の留守城へと向かったのである。五右衛門大泥棒の貫禄を見せた一幕である。


寛文七年(1667年)の東武残光の書いた古文書より。

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土山の町並みを愛する会

Author:土山の町並みを愛する会

東海道の宿場として栄えてきた土山の歴史と文化がなくなっていく現状をなんとかくいとめられないかと東海道五十三次シンポジウムや村おこしの参加者らが、発起人となり設立しました。土山らしい町並みの創造に向け広報、研修等に取り組んでいます。

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