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土山ろまん第5号

鈴鹿峠に松並木復活! =東海道ネットワークの会が植樹= (表紙)


昔、東海道の両側には松並木が植えられ、緑のある美しい道にしていました。グリーンベルトの様なものだったのでしょうか。戦前までは、まだだいぶん残っていたようですが、今では土山でも大野に面影を偲ぶ事が出来るくらいで、ほとんどの所では跡形も無くなってしまい、旧東海道のさびれようを象徴しているかのようです。


「東海道ネットワークの会」という旧東海道筋の人々を中心にしたネットワークがあります。土山で東海道五十三次シンポジウムが開かれた昭和六十三年頃に作られた会で、東海道の復権を唱え、街道沿線の人々の横のつながりを作ろうと頑張っています。土山町にも数名の会員が居られますが、そのネットワークの会が大挙して去る四月四日に土山に来られ、記念植樹として鈴鹿峠に松を植えられました。


「地球にもドライバーにもやさしい緑の植樹で東海道を結ぼう。」というテーマの下、万人講の傍に十三本、関側に十二本の松が植えられました。東海道を復活させる第一歩として、また街道を愛する人々の心の故郷として、松はしっかり根付き、何十年か先には立派な松並木をみせてくれる事でしょう。


松並木、道端の花々、しっとりとした町並み、そんなものが土山の人の心にきっとやすらぎを与えてくれる事でしょう。そんな優しい町になりたいものです。


東海道ネットワークの会が植樹

大石内蔵助も歩いた武平峠 (3面)


今更に言うまでもなく、昔の東海道は土山から鈴鹿峠を越し、坂下から関を通って四日市方面に伸びる日本の大動脈であり、参勤交代や伊勢参りの人々が多く往き来して、賑やかな街道であった事でしょう。


ところが中には人目を忍ぶ旅人も居た筈で、関所を通るのに必要な手形を持たない無宿人や、馳け落ちの道行きなどは一体どの道をいったのでしょうか。


面白い記録があります。忠臣蔵で有名な大石内蔵助は討ち入りの為に江戸に向かう折、十月の八日か九日に、武平峠を越えています。従う者は近松勘六以下三名となっていますが、鈴鹿スカイラインの通る現在とは異なり、当時の峠越えはひどい山道で、きっと難渋した事でありましょう。


内蔵助に限らず、関所を通るのがはばかられる者は、間道を通るしか方法がなかったので、その一つとして大河原からの武平峠越えがあったのだろうと推察されます。そう思うと身近なこの道、あの道にも歴史のロマンがある訳で、ちょっと楽しい気分になってきませんか?


武平峠
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土山の町並みを愛する会

Author:土山の町並みを愛する会

東海道の宿場として栄えてきた土山の歴史と文化がなくなっていく現状をなんとかくいとめられないかと東海道五十三次シンポジウムや村おこしの参加者らが、発起人となり設立しました。土山らしい町並みの創造に向け広報、研修等に取り組んでいます。

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