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土山ろまん第22号

伝馬館によせて (表紙)


ペリーが来航した黒船騒ぎから百四十八年が経つ。以来、日本は欧米化の道を一途にたどり始め、外国から文明、文化を輸入し続けてきた。さらに戦後の五十六年間は殆どと言っていいほどにアメリカ文化を模倣してきたように思われる。もちろん日本の文化を全く捨て去ったわけではなく、伝統的なものも少なからず残されているのであるが、生活様式といったものはかなりアメリカ化してきたように思われる。これは基本的に合理性というものを重視していて住居、衣服などはずいぶんと機能的になり、便利になってきたことは否めない。唯一の超大国になったアメリカの言語である英米語が世界を席捲したように、これらの文化もまた世界にさらに広まっていくのであろう。


しかしそれで良いのかというと、ちょっと待てよと考えてしまう。例えば今の日本の町の景観は果たしてこれが日本と云えるのだろうか。アメリカ風あり、日本風あり、ヨーロッパ風ありで一種の無国籍的な町になっていないか。他国の文化を吸収することは大切なことだが、無秩序にそのまま取り入れていては自分の国の誇りがないのではないだろうか。またアメリカに行った人なら感じるであろうあのすさまじいばかりの使い捨て文化への疑問、そしてそれをそのまま輸入しつつある日本の現在の姿、さらにそれが起こしているゴミの問題。空き缶を捨てるなということは単なる公衆道徳の問題ではなく、文化の問題なのかもしれない。


新しい資料館が今年には開館する。日本文化の良さを再確認できるような、そしてそれがこれからの日本を考えていく材料であるような、そんな資料館であって欲しい。


オープンを待つ土山宿伝馬館

瀬の音に伝わる高札 (2面)


東瀬音の加藤茂さんのお宅は、代々庄屋を勤める家柄だったそうですが、ここには昔の高札が残されています。これは徳川幕府が瓦解して、戊辰戦争に突入する頃のもので、新政府側の土佐藩によってかかげられたものです。時代の激しい動きが読みとれ、大変興味深いものです。


高札原文の解釈文


徳川慶喜は、天下の形勢が変って来た事を、やむおうえない事と察して大政を返上し、更に将軍職をも辞退する事を朝廷へ願い出た。


天皇は、この事をはっきりと聞かれ、今までの罪を不問にされ、慶喜を、各藩主の上位の座につけようと仰せられたが、あに、はからんや、慶喜は大阪城へもどった由。大政の返上などは、もともといつわりの謀り事であって、願い出て、三日後に、麾下の者を、引き連れ、その上、帰国を命じられていた、會津藩と桑名藩の兵を先鉾にして、皇居のある京都へ、攻め入らんとする勢いで、今、慶喜から戦いをおこそうとしている以上、慶喜の反逆は明白であり、始めから、終りまで、朝廷を欺いている事は、大逆無道の事で、その罪は、のがすわけにはいかぬ事である。このような事態になった上では、もう、寛大なる道はなくなってしまったのである。やむおうえず、幕府を追討する事になった。そもそも、戦いが、開かれた以上、早急に賊徒(幕府軍)を討伐し、万民を苦しい境地から救う事が、天皇のお考えである。この度、仁和寺宮(にんなじのみや)である有栖川熾仁親王(ありすがわたるひとしんのう)を征討将軍に任命して、東征させる事になった。このような事態になったので、今まで、目先の楽みのみ、むさぼり、怠惰な生活していた者、或は、朝廷側に付こうか、幕府側に付こうか、どっちつかずの心を持っていた者、或は、幕府側に付いていた者でも、心から悔い、さとり、国家のために発憤し、忠節を尽さんと志しのある者は、過去の事に関係せず、官軍に採用する事になった。このような寛大なる思召しがあるのに、未だ大義が、何であるかを弁える事ができず、幕府側の兵と陰謀をはかり潜行している者は朝敵とみなし、厳しい刑罰に處する事になっているので、人民は、心得違いをしないようにして欲しい。


右のような、仰せ出があったので不心得の事がないように、通達するものである。


慶応四年(1868年)辰年の正月。(1月のことを正月といっていた)


土州(土佐藩のこと)執行


◎当時、土佐藩主が、近江国と越前の国を、支配する事になっていたので、土山に、このような高札が下されたのである。


◎執行(シッコウと読む) 事務を執り行うこと。


昔の高札

この人と話そう 出橋 薫さん (3面)


出橋 薫さん

今春、同志社大学文学部卒業。卒業論文のテーマは『町並み保存とまちづくり「土山の町並みを愛する会」の活動を通して』。枚方市在住。土山をこよなく愛してくれて土山のサポーターを自認している。


Q.まずは土山の町の第一印象を聞かせて下さい。まあふつうの人は何もない町とか、淋しい町とか、不便な町とか思うようですね。


A.私がはじめて土山を訪れたのは4年前の宿場祭でした。旅行が大好きで各地のお祭りへもよく行くんですが、このときは本当に来年もまた来たいな、という気持ちが強かったんです。そのときは町並みの印象というよりも、そこで出会った町の人たちの印象が強かったですね。初対面の私に小学生の子たちがスタンプの場所へ案内してくれたり、「まちかど博物館」の玄関先や通りで、出会った人たちが気軽に声をかけてくれたり、話が弾んでスタンプのことをすっかり忘れるなんてことも多々ありました。(笑)落ち着いた佇まいの中どこか清々しい開放感のある町の雰囲気や町の人々の温かさに魅力を感じました。


Q.土山の他にも宿場町はたくさんありますし、まちづくりといったようなことはどの町でもやっていることですが、とくにこの町を卒論の題材に選んでくれたのはどうしてでしょうか。


A.まちづくりといっても何に価値を置くかによって様々です。その中で私は、町並み保存とまちづくりの関係を教育の視点から考えていくことを卒論のテーマに選びました。私が注目したのは、古い町並みにはその町の歴史や文化、先人達の生活の知恵などが生きていて、これらが子どもたちの感性を豊かにしてくれるということ、そして、町並み保存には、その町の歴史や文化、人々の生活、建築様式など様々なことを知らねばならず、社会教育が大きな役割を果たすということ、又、そうして人々の学びが生かされる場となることです。これまで旅行等で訪れた町を思い浮かべてみると、観光地の人寄せ的なものや町としての機能を失った凍結的なものなど、町並み保存の仕方も様々です。その中でなぜ土山を取り上げたのかですが・・古い町並みを生かしたまちづくりを行い、今や観光地となっている町に比べると、土山は古い町並みを構成しているのはどこにでもあるような商店で、さりげなく生活の匂いや情緒が感じられるというのが第一の理由です。生活の町として古い町並みを残していくことは、実はそこに大変な努力と熱い思いがあることに気づかされました。さらに、土山に第2名神のICができ、今後のまちづくりの取り組み方次第で様々な方向へ町は変化していくと思ったからです。


Q.たとえば木曾の馬籠や妻籠、鈴鹿の関など古い町並みを売り物にしている町はいくつかありますが、土山もああいう風になっていった方がいいと思いますか。土山はそう言う町並みを売り物にしているわけでもなく、逆に古い家が少しずつ減っていく悲しい現状です。古い町並みと新しい生活様式が両立できるといいのですが。


A.古い町並みを売り物にしている町にも、町並みをどのように生かしているのかによって又違ってくると思います。古い町並みを町の外へPRすることは私はいいことだと思います。なぜなら、現在、古い町並みだけでなく日本の伝統的な風習や職人文化などがどんどん失われつつあるからです。ただ、観光地化することで、町の人同士のつながりとかその町らしい情緒や生活の匂いの全く感じられない町になってしまっては寂しいですね。旧東海道土山宿の通りに面してたくさんの商店がならんでいますが、伝統的な町並みをうまく生かせば、これらの商店の魅力がもっと引き出せるんじゃあないでしょうか。伝統的な造りの家は焼杉板や土壁など自然から生まれたものからできていて、例えば、お味噌やお酒などもとてもいいものが作れるそうですね。また、木造建築に用いられている木は、大気中の二酸化炭素と酸素の割合をきちんと考えてくれているそうで、環境にもやさしい。個人商店の専門性やオリジナルなよさ、丁寧な対応などが、これから再び求められてくるような気がするんです。京都にも小さな商店がたくさんありますが、商店へ行くと何か興味深い話を聞かせてもらえるのが楽しくて、私自身そういう商店で買い物することが多いんです。


Q.京阪神の町とくらべると土山は大変暮らしにくい所ですが、もしも貴女の彼氏が土山の人でいっしょに暮らそうなんて言い出したら、貴女はここでくらしますか?


A.私は土山へ多くても月に2度程訪れる程度なので、土山での生活がどういう感じなのかを果たしてどのくらいわかっているかはわかりませんが、私は生活の場は少々不便でも、歴史的な趣きのある町、地場産業や文化など個性のある町、町の人同士のつながりもしっかりあって楽しい町、そういう町に住みたいですね.不便と言っても道があるので、どこへでも行けますし、どこにでもあるようなデパートやアミューズメント施設よりも、町に職人さんがいたり、その土地で取れた野菜がとびきりおいしいとか、そういう町での生活に惹かれますね。一応自分の町にも愛着はあるので、相手をどのくらい好きかにもよるかもしれないですけど。(笑)


Q.都会では住まいはマンションというのが当たり前になってきていると思いますが、土のない暮らし、山のない暮らし、生き物のいない暮らしというのはどんなものなのでしょう。貴女の友達や知人はそういう生活がふつうだと思っているのでしょうか。


A.ふだんはほとんど自然と呼べるものなどないような地域で生活していても、休日にはのんびりと自然を求めてドライブするという人は多いと思います。本当は自然のある暮らしを好んでいるんだけれど、日常生活では何かで気を紛らわして我慢しているんじゃないでしょうか。外国の町にはできるだけ自然体系を壊さない形で存在している国立公園などがたくさんありますよね。日本の都市部で生活している人たちも街路樹や花壇だけで満足していてはダメだと思います。


Q.都会では隣の人がどんな仕事をして、どんな生活をしているのかも知らないのが当たり前ですが、土山ではみんな親切なかわりに、どこそこの誰が何をしたのかがあっという間に人の口を介して知られてしまいます。貴女はどちらがいいと思いますか?


A.いい話は広まっても構わないけれど、格好の悪い話はあまり知られたくない、あたりまえですが。(笑) だけど、困った時に力になってもらったり協力し合ったり、嬉しいにつけ悲しいにつけ共に喜び合い、共に泣いて・・日常生活の中でそういう付き合いがあった方が楽しいと思うので、筒抜け状態の件はある程度我慢できます。私の父が子どもの頃は、親子喧嘩をしていたら、お隣のおばさんが台所の窓から顔を見せて「奥さん、もうやめなはれ。あんたもお母さんにあやまりや」と止めに入ってくれるというようなことが、日常生活の中でごく自然にあったそうです。地域の大人たちみんなで子どもたちを見守っていたんだな、って感動しました。そういう地域の教育力がしっかりあると、悪い事はしちゃいけないなと一人一人の心に自制心が、育っていくと思うんです。おせっかいを焼かれると、ほっといて!と思いながらも実は嬉しかったり・・私もそうでしたね。(笑)




どうもありがとうございました。若い方から貴重なお話を伺ってずいぶんと励まされたような気がします。これからもちょくちょく土山へ遊びにいらして下さい。

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土山の町並みを愛する会

Author:土山の町並みを愛する会

東海道の宿場として栄えてきた土山の歴史と文化がなくなっていく現状をなんとかくいとめられないかと東海道五十三次シンポジウムや村おこしの参加者らが、発起人となり設立しました。土山らしい町並みの創造に向け広報、研修等に取り組んでいます。

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