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土山ろまん第18号

新築おめでとうございます のれんをどうぞ (表紙)


えらいこのたびは、立派な家を建てはりまして、まことにおめでとうさんでございます。せけどまあ、ほんまに結構なおうちですなあ。この柱といい、建具といい上等なもんを使うたはりますやないか。えっ、そんなにお金はかけてへんてか。せやけどええもんでっしゃないか。やっぱり、わてらはこういう日本的な家が落ち着いてよろしおすな。そらまあ椅子の生活も楽でっけどなあ、こうして畳に座るとゆっくりくつろげるちゅう気がしまんなあ。


えっ、食堂は洋風にしたぁるて、まあそれもよろしおすやないか。和洋折衷ちゅうやつや。なんにも日本だけが一番ええちゅうわけでもおへんさかいなあ。


そうゆうたらあんた、このあいだ新聞に出てましたけどな、京都の鴨川になんやフランス風の橋を架けるゆうてましたけどな、あれみんなの反対におうて、やめになったて書いてありましたなあ。そらそやわなあ、鴨川ゆうたら京都では一番の川や。三条大橋かて、牛若丸の五条大橋かて今はコンクリートでつくったぁるけど、ちゃんと擬宝珠のついた日本の橋や。そこへなんぼええもんか知らんけどフランスはないわなあ。やっぱり京都の人は賢い、よう考えてはるわなあ。


そらあんさん、この家かてこれでよろしいねやわ。見てみなはれ、よう周りの景色に似合うてまっしゃないか。山の緑に瓦の屋根がよう合うたるし、近所の家ともしっくりきてますやないか。どこぞの団地みたいに、おのれのうちのことばっかり考えて好き放題に建てるさかい、ほんまにいったいどこの国にきたんかいなと思うくらいや。あれでは住んでいる自分らかて気色悪いんとちがうやろかと思うてやりますわ。


そらそうと、あんさん、こんだけのもんを建てはったんやさかい、もう一つだけ凝りなはれ。せや、この玄関にのれんかけやはったらどうです。えっ、商売屋みたいやてか。いやいやそうでもおへん。普通のおうちでも割と似合うもんでっせ。この頃はちょっと洒落てるもんかてぎょうさんありまっさかいな。古臭い思てたら大間違いで、なかなかモダンなもんでっせ。よろしおます。わてがひとつお祝いにええやつをみつくろうたげますがな。いやいやいつもお世話になってまっさかいな、そのくらいのことはさしてもらいますがな。そのかわり、ちゃんと掛けとくなはれや。ほな、ちょっと買いにいってきますわ。


あなたものれんをどうぞ

甲賀古士の訴状から (3面)


寛文七年未閏二月十八日


奉行所殿


上野又右エ門秀彰


我ら甲賀武士はその昔より、権現様(徳川家康公)の格別の御引き立てを賜わり、ご縁の深いことこの上なしと存ずる。また、かの本能寺の変ありしとき、権現様、堺にて立ち往生なされしが、我ら命に替えてお守りし、無事三河の国へお送りしことあれば、権現様たいそう御喜びなされ、以来、何かと我らのことをお気に掛けられ、ご恩を賜わりし事数多ありし也。


一つに、信長公の御代、滝川一益が我らを攻め滅ぼさんとしたとき、権現様これを信長公にお取りなしだされし事。あまつさえ、所領安堵のお墨付を賜わりし事。


一つに、小牧長久手の戦さのとき、権現様、榊原小平太殿をもって、我らに参陣を仰せ付けられ、豊臣方と奮戦致し事。されど、それがもとにて太閤様に疎まれ、後の雑賀攻めの折には、いわれなき罪を賜わり、我ら所領没収され、路頭に迷いし事。


一つに、関ヶ原の合戦の折、山岡道阿弥殿から徳川方の伏見城を助けよと仰せられ,我らのうち百余名が赴きし事。さりながら残る参百余名は、君が畑に拠り、西軍を誘い、これを悩ます方が関ヶ原にて戦さをなさる権現様の御為になるべしと戦支度を揃えしが、憎っくき水口城の長束正家に呼び出され、豊臣に加担いたすならば、雑賀攻めの折に取り上げし知行を返すと言い伝え、人質を取り上げられしばかりか、水口のはずれにて我ら同志の上野、中上の両名をはりつけにかけられし事。


かかるばかり、我ら権現様にゆかり深きところなれど、時移り、今となれば我らの暮らし向き、ままならず、衣食にも事欠くありよう。なにとぞ、権現様の御遺徳にあやかり、我らが事、よろしく、お取立下さるべく御願奉る次第也。




これは、土山町大沢に伝わる1667年の訴状文の写しから、これを簡略化し、詠みやすく脚色したものです。甲賀五十三家と言われる甲賀武士たちが信長、秀吉らの権力のはざまで苦しんで、徳川家に援助を求めるさまがよみとれます。


訴状文の写し
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土山の町並みを愛する会

Author:土山の町並みを愛する会

東海道の宿場として栄えてきた土山の歴史と文化がなくなっていく現状をなんとかくいとめられないかと東海道五十三次シンポジウムや村おこしの参加者らが、発起人となり設立しました。土山らしい町並みの創造に向け広報、研修等に取り組んでいます。

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