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土山ろまん創刊号

「発刊にあたって」 (表紙)


土山の町並みを愛する会 会長 松山 薫


■ 世界で


近頃の旅行ブームで、海外に出かけられた方も多いと思う。また、そのみやげ話を聞き、写真を見せて頂く機会も随分と多くなった。


その度に羨ましく思うのは、例えばヨーロッパの古都が、或いは田園地帯の村が、それぞれにその特色を持ち、調和のとれた景観を造りだしていることである。電信柱が余り立っていないのも一因であろうけれど、それよりも伝統を重んじる心や、景観を一つの財産と考える心が豊かなのではないかと想像される。しかしそれは、時には経済の停滞を招いたかも知れない。


■ 日本で


逆に国内でバス旅行をして見ると良く判るのだが、名所旧蹟は別として、日本全国、何処へ行っても良く似た景色なのである。どの町にも同じようなけばけばしい看板が立ち、よく似た食堂やドライブインがあり、そして網の目の様に電線が交差している空がある。経済の高度成長と引き換えに、私達は美しい町を失ったのではないだろうか?


■ そして土山で


さてわが町はみどり豊かな自然に囲まれた中に、街道文化の栄えた往時の面影を残し、数多くの文化財や資料を蔵する素晴らしい環境の地である。


私達を育ててくれたこの土山の山や川、そして町並みが、これからも子ども達の人間形成に根深く関わっている事を知らねばならない。先人達が培ってきた歴史、文化を引継ぎ、町並みの美意識を掘り起こして行くことが、心豊かな子どもを育て、しかも土山の場合は経済効果も生んで行けるのではないだろうか。


「土山浪漫」創刊にあたり、この町に愛着と誇りを持ち、風情ある町並みを守り、創り、育てて行く為に、多くの方々のご理解とご参加をお願い申し上げる次第であります。


(注)創刊号、第2号は「土山浪漫」として発行した。


大野の松並木

虚白さんの事 (3面)


俳句研究家 乾 憲雄


虚白さんは弘化四年(1847)の十月晦日、七十五才で亡くなられた俳人禅僧であった。143年前である。


南土山の常明寺で育てられて、晩年には東福寺の管長となり、また南禅寺の管長にもなられた偉い禅僧でもあった。


風流人であり、蔭涼軒、また煨芋(わいう)庵などと号して自然を友とし、俳句や俳画などに楽しんだ。


松堂慧喬というのが僧名で東福寺の通天橋を渡りつめた中庭には虚白の立派な句碑が建っている。


当時京都東山の芭蕉堂主、高桑闌更の愛弟子の一人であった。そして闌更門の成田蒼虬(そうきゅう)や桜井梅室、また画家の中島末章(信楽町出身)などと親交し、門下の俳人らを多く育てた。例えば土山町三軒家の三好赤甫や土山の虚吟、嶬哦の霞洲、佐治の逸外などである。


俳号の煨芋(わいう)とは土山町南土山の川向うのごせという小在所の小庵を建てて芋を煨(や)いてひっそりと暮らす風流人の庵や自分の姿を称したのである。


町内や県内、京都などでこの虚白禅師の真蹟作品によく出逢った。しかし、日毎に少なくなるのは新しく家の建築がすすんで捨てられたものも多いと聞く。


虚白さんの句集としては没後百年忌に「禅僧虚白」というのが出版されている。それを編した高橋禅師も先年逝去された。誠に寂しい限りである。それのみか常明寺の住職で「虚白百五十回忌には」と思っておられた塩沢師も若い年で急に往生された。


虚白さんの句には沢山よい句がある。殊に「孑孑や蚊になるまでの浮き沈み」とか「涼しさの所得たれば早や不足」「まじわりは斯や有たし蝶二つ」「睦まじやいつも団扇(うちわ)のまるければ」など限りがない。


「おほけなき床の錦や散り紅葉」の一句を辞世の句として往生されたのである。「うけて待つ手をすれすれて散る紅葉」という東福寺の句碑の句と共に虚白を偲ぶ句としていまも生きている。


もう六年もすれば「ふるさと土山」をこよなく愛し、親しんだ虚白さんの百五十回忌にあたる。


野上野にある「涼しさの・・・」の句碑
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土山の町並みを愛する会

Author:土山の町並みを愛する会

東海道の宿場として栄えてきた土山の歴史と文化がなくなっていく現状をなんとかくいとめられないかと東海道五十三次シンポジウムや村おこしの参加者らが、発起人となり設立しました。土山らしい町並みの創造に向け広報、研修等に取り組んでいます。

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