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土山ろまん第32号

地域に根付く安全で快適な建物を・・・ (表紙)


甲賀病院を建て替える、というがその用地がまだ決まらないらしい。素人目には今の建物でも十分なようにも思えるが、築40年を過ぎて老朽化しているというし、また今、話題になっている耐震性にも問題があるのだろう。生身の体の平均寿命がほぼ80年にも延びたというのに、鉄筋コンクリートで作られたものが僅か40年ほどで老化するというのも納得しがたい話だが、市民の利便と安全を考えての上のことであるからそれはそれで結構なことである。


しかし考えてみればこれから建築される病院も40年程度しか保たないというのなら、現代の世代が生きているうちにもう一度建て直さなければならない勘定になる。どうせ建て直すというのであれば少なくとも今後百年くらいは使えるようであって欲しいし、巨費をかけてたった40年ではちょっと勿体ないように思える。建物の規模も性能も違うし、建築基準も厳しくなってきた状況の中で較べるのはむつかしいが、日本にも長い寿命を誇っている建築が数多くある。滋賀県でもヴォーリズさんの手がけた建築が補修されながらではあるがいくつも現役でがんばっている。


国会議事堂やバッキンガム宮殿みたいな建築、というのはいささか望みすぎであろうが、新しい病院は時代を超えて生き続けられるようなものを期待したい。流行りものはすたれものである。時代に迎合したような粋な建築はいらない。最も大事な市民の健康を守り、市民に親しまれるべき病院は、甲賀にあの名建築ありと後世まで謳われるようなものであってほしい。数々の制約と限られた予算の中で、それでもなお我が名を残したいと望む建築家諸氏の発奮を期待する。


滋賀銀行甲南支店 旧水口図書館

ウィリアム・メレル・ヴォーリズ設計の滋賀銀行甲南支店(左)と旧水口図書館(右)


歴史の水・探索 -造り酒屋さんから- (2面)


澄んだ鈴鹿の伏流水が湧き出す井戸

今回は徳原にあるレンガ造りの高い煙突から今も煙をあげている安井酒造場へ歴史の水を求めて探索へ伺いました。


2月1日折しも丁度酒造りの真っ最中で、お忙しい中の訪問となりましたが快く場内の説明や酒造りの説明をしていただけました。


安井酒造場さんは息子さんで5代目となり、130有余年の歴史があり戦中一時、酒造りが途絶えた時もあったそうですが、酒の命でもある水は今も地下10メートルから湧き出る井戸水によって今日まで受け継がれています。


この井戸水は100年以上枯れることなく、米洗いから仕込み水まで全てこの井戸水を使い、うまい酒の素となっているそうです。酒造りの始まりは、この大切な井戸の掃除から始まるという程大切な物だそうです。


井戸の中を覗かせていただくと、綺麗な澄みきった水が歴史の深さを感じさせてくれました。


酒造りの事を詳しく載せたいとこですが、素人が間違った事を言ってもいけませんので詳細については控えさせていただきますが、蔵へ案内していただくと甘くフルーツの様な香りが漂ってきました。タンクの中にある醪を仕込み順に見せていただき米からだんだんと泡が出て行く様子がわかり、うかつに顔を突っ込むと咳き込むほど強烈なアルコールの臭いがしてきました。あらためて酒というのは生き物なんだということを感じ又、この酒の素があの歴史の水なんだということを感じました。


我が土山は歴史が深く皆様方の中にもいろんな形で歴史の水のお世話になっているお宅が多いのではないでしょうか。時代が進むにつれ地下の様子も変化しつつありますが、いつまでも歴史の恩恵を受けられるように現代に生きる我々の責任は重大ではないでしょうか。


この記事が掲載される頃、おいしい新酒が出来上がっていると思いますので、皆様も一度尋ねて見てはいかがでしょうか。


ここで麹を暖めてねかせます 仕込みタンクの中で発酵中

一寸コラム


使わなくなったタンク

今では使わなくなったタンクが沢山あり、ご主人が「誰かほしい人いませんやろか」とお聞きになられておりました。どなたかいりませんか?ほしい方は安井酒造場さんまでお問い合わせください。但し、巨大なタンクをとりだすには家を取り壊さなければならないそうです。


武平峠の鎌田正清邸跡 (3面)


「せめて太刀なりと!」と源義朝は叫んだ。平治の乱に敗れた後、落ち延びた先の知多半島の野間で源氏の棟梁、義朝は風呂場で裸でいるところを騙まし討ちにあった。その義朝の一の郎党、鎌田正清も奮戦むなしく殺された。謀ったのは正清の妻の父とその一族であっただけに、正清の無念いかがなりかと思われる。


鎌田正清(政清、1123~1160)は相模の国の武士、鎌田通清の子であり、母は源義朝の乳母である。義朝い従い保元・平治の乱に参戦。武芸の達人であり。彼の編み出した槍術はその子を通じて義経にまで受け継がれる。義朝の死後、義朝の子らは処刑されたりするが、頼朝は助命されて伊豆に流され、また牛若丸と呼ばれた義経は鞍馬寺に預けられた。その牛若丸にひそかに源氏の再興をささやきかけ、ついに彼を平家打倒に立ち上がらせたのは鎌田正清の子、正近であった。鞍馬の山中で牛若丸に武術を教えたという天狗とはひょっとすると正近だったのかもしれない。義経の四天王として活躍した者のうち鎌田盛政、光政の兄弟もまた鎌田正清の子であった。


ところで武平峠に鎌田正清のものだと伝えられる屋敷跡がある。古くから人々は天狗が住んでいると恐れて近づかないようにしていたという。保元物語などからみても正清がこの地に住んでいたとは考えにくいが、正清ゆかりの者、例えば子の正近あたりが住んでいたのではないかなどと想像するのは楽しい。されば大河ドラマ「義経」でしか知らない源平合戦も身近に感じることが出来ようというものである。ちなみに鎌ヶ岳は鎌田の姓より名付けられたと伝えられる。


鎌田正清
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土山の町並みを愛する会

Author:土山の町並みを愛する会

東海道の宿場として栄えてきた土山の歴史と文化がなくなっていく現状をなんとかくいとめられないかと東海道五十三次シンポジウムや村おこしの参加者らが、発起人となり設立しました。土山らしい町並みの創造に向け広報、研修等に取り組んでいます。

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