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土山ろまん第26号

水の流れに (表紙)


不況でんなあ。それも今までとはちょっと違うて、長いし、深刻ですわ。日本から希望ちゅうものが無くなってしもうたみたいですわ。この五十年くらい、ずっと走ってきた我々のあの元気はどこいったんでっしゃろ。世界第二の経済大国やいわれて、昨日より今日、今日より明日ちゅうて、もっと豊かにと頑張ってきた挙げ句にこの世の中ですわ。あの高度成長は夢でしたんやろか、あの繁栄は砂上の楼閣ちゅうやつやったんやろか。


せやけど未曾有の不況とはゆうても、それで餓死したちゅう人は聞きまへん。北朝鮮やアフガンなんかに較べればまだけっこうなほうでっしゃろ。ただ、これまでの高度成長期みたいなやりかたでもういっぺん夢を見よちゅうのはちょっとウマがええのんと違うやろか。今やったら。まだ社会にちょっとでも余裕が残ってるさかいに、これからわてらが進む道を考えられるかも知れん。経済再生とか構造改革なんちゅうことは庶民にはよう分かりまへんけど、けど生活の仕方を変えるちゅうことはできますわな。価値観ちゅうのを変えたら見えてくるもんもあるかもしれまへん。ものより心ちゅうとこでっしゃろか。


文化ちゅうことを考えてみなはれ。わてらはここずっと西洋から借ってきた文化でやってきましたわな。そらそんで快適やし、大量消費ちゅうやつでええ目さしてもらいました。せやけど極端な事いうたら、昔、日本は、その当時は世界でも指折りの江戸文化ちゅうもんを持ってましたやないか。今の世の中とは正反対で、なんでも勿体ないいうて物を大事にして、ゴミになるもんなんか何も無かったらしおす。そやけどその当時の文化は浮世絵みたいにジャポニズムといわれて、あっちの国々にえらい人気やったらしい。今の日本でいちばん得手のええパソコンやら自動車も何も無い時代でっせ。それでも日本がいちばんやったんですわ。あれが文化いうもんでっしゃろ。せやのに今はもっと産業が発達してんのにそんなに他の国の人に尊敬してもろてまへん。仏蘭西なんかは頑固やけど自分ちゅうのをちゃんと持ってよる。わてらはそのあたりをもうちょっと反省せなあかんのと違うやろか。その辺に今のどんづまりを抜け出す工夫がないやろか。


南土山にきれいなしょうずが湧いています。水は生きていくのに必要なもんやけど、ゆっくり見てると気が落ち着きまっせ。たまにはゆっくりして、もういっぺん考えてみよやないですか。


南土山のしょうず公園にて

関宿・土山宿の交流会 (2面、3面)


平成15年1月16日


関宿町並み保存会の方を招待し、うかい屋で初めての交流会を行いました。両会の活動報告や、現在の街の状況の説明があり、参加者からは、ボランティアガイドの取り組みなどに関する質問が活発にされ、県境を超えた連携や地図作成等の意見が交わされました。


伝馬館や本陣なども見学いただき、その後の懇親会も盛り上がり、第2回目は関宿で開催されることが決まりました。


交流会1 交流会2

土山の町並みを愛する会 村木 ふさ江


冷たい風が身をさすような寒い日でしたが、うかい屋での関宿の皆さまとの出合いはとっても暖かい雰囲気でした。


口の中でとろけそうな、なつかしく可愛い関の戸をいただきながら、いつまでも話ははずみました。土山で生まれ育った私は、49番目の宿場町土山を愛しています。


真直ぐに道が伸びる、土山宿とはひと味違う趣のある関宿も大好きで、車でよく通りますし、2回程歩きました。


土山町も街道まつり等色々のイベントを通じて、昔を偲び、町の良さの認識や保存に力を入れておりますが、同様に、関宿町並み保存会の皆さまも、町民の意識の向上等に、真剣に取り組みをされているということ、特に子どもの活動を通し、積極的に子どもらの手で、ミニ盆栽をつくり、いつも花を活けて、町を美しくされておられ、昔の食事の再現もされ、感動しました。


次の世代にと願う我々も、尚いっそう子ども達が町に参加することを考え、土山に生まれてよかったと思ってくれるようになればと思います。


色々と教わる良い機会に恵まれた、初めてのこの交流会が、いつまでも続くことを願っています。


関宿町並み保存会 谷口 嘉子


1月16日「土山の町並みを愛する会」のお招きにより、「関宿町並み保存会」との交流会がうかい屋さんにおいて行われました。


土山は、東海道シンポジウム第1回目の開催地でもあり、特定非営利活動法人 歴史の道東海道宿駅会議の設立提唱者でもある訳で、さすがに皆様熱心な土地柄であるとお見受けしました。


私達「関宿まちなみ保存会」も、色々な活動をし、アイデアも出し合っていると、自負しておりましたが、愛する会の皆様の活発な行動力を見せて頂き、私達も見習わなければと、痛感致しました。


鈴鹿馬子歌で繋がれている、関、坂下宿と土山宿は、昔から色々な交流がありました。現代においても、その関わりが変わる事はありません。交流会を通じて,お互いに知恵を出しあっていけたら、交流会を持つことの意義も、大切さも、出てくるだろうと思われます。幸いなことに、土山も関も行政の理解と指導の下に、保存活動がなされています。今の生活を守りながらの保存には、難しい課題も山積していますが、今後も愛する会の皆様と共に、私達の活動を通じて、少しでも地域づくりのお役に立てたらと思っています。


末筆ではありますが、皆様には大変お世話になりました事を、心よりお礼申し上げます。


関宿


昭和55年重要伝統的建造物群保存地区の指定を受けた関宿は、年間30万人を超える人々が訪れ賑わいをみせている。同年に誕生した関宿町並み保存会は、町並み保存条例制定に協力される等、町並み保存活動や地域文化の研究啓蒙活動を行っておられます。


関宿1 関宿2

江州音頭 (2面、3面)


忠臣義士銘々伝 神埼與五郎東下り


えー皆様頼みます


是れからはよいやさの掛声を


さては此の場のみなさんへ


伺いまする演目は忠臣義士銘々伝 神埼與五郎則康の東下りの一席を是れじゃからとて皆様よ事細かに参らねど悪声ながらも努めます


そもそもへ初段の筆初め


播州赤穂の浪人はお家断絶した後は鷹に追われし村雀


何んと詮方なくなくも此に神埼與五郎も主君の仇討ち致さんと


花咲く故郷を後にして泊まり重ね日に歩み


出て来たのが何処なれば


山科御陵を伏し拝み追分宿にと差しかかる


逢坂山にと成るなれば


唄で名高い蝉丸の宮


大津八丁は札の辻


大津で売り出す名物は座って食べても走り餅


一段小高い所より


小手を飾して見るなれば


琵琶の水面ささお波堅田に映る雁が音の側はなけねど浮御堂


後に響くは三井の鐘


唐崎名所は一本松


此が本田の六万石


矢橋の帰帆あるとかや人に合うても粟津の縄手


蛍で名所が石山で観月堂に登り来て


はるか向うを眺むれば


近江富士とはあれ成るか


瀬田の唐橋打ち渡り矢倉縄手に差しかかり


野路尻の玉川何時か過ぎて


夕日に傘を傾けて出て来たのが何処なれば


露は無けねど草津の宿此で売り出す名物は


嬢ちゃんが食べても坊ちゃんが食べても是れが本当に姥ヶ餅


此の名物食べられて真面に行くなら中仙道


右手に取れば東海道


固い約束 石部の宿


此の名物一皿食べてお腹が膨れた加減でか


横にころりと横田の橋も打ち渡られて皆口ぐちに呑む酒は冷めて来たのが雨降りで足にべっとり土山付けて


田村神社に参拝なし早やだんだんと登り来て


伊勢と江州の国境へ鈴鹿峠と成るなれば


向こうに見ゆるあの山は昔は昔 其の昔


加納法源盛信が山の姿を絵に書こうと


書いている内に山の姿が変るので短気を起こした盛信が筆をば山に投げるので筆捨て山をも横に見て


いよいよなれば是れよりも


宿の枕も数重ねお江戸表に出て参り


同士に対面致されて四十七士が勢揃い


松坂町に乗り込んで目出度く本懐遂げられた


神埼與五郎の東下りの道中録


時間と共に読み終る




※土山が出てくる江州音頭を紹介しました。しかし、近頃はこの歌詞はあまり唄われていないようです。

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土山の町並みを愛する会

Author:土山の町並みを愛する会

東海道の宿場として栄えてきた土山の歴史と文化がなくなっていく現状をなんとかくいとめられないかと東海道五十三次シンポジウムや村おこしの参加者らが、発起人となり設立しました。土山らしい町並みの創造に向け広報、研修等に取り組んでいます。

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