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土山ろまん第12号

大野の看板と間の宿のこと (表紙)


土山宿に屋号の看板や旅籠の石柱を設置して大分経ちますが、町のひとだけでなく、行き交う旅人さんたちにも至って好評で、「昔の町並みの様子がよく判る」となかなかうけています。


そこで今度は大野学区の東海道沿いにも屋号の看板を設置しようということになり、東の方から逐次取り付けているところです、


大野は土山と水口の間にあり、五十三次には入っていませんが、茶店や土産物屋などの一服する場所が多い立場(たてば)として結構賑わっていたようです。いわゆる間の宿というところで、幕府が宿場の保護のため、これらでの宿泊を禁止したにも拘らず、いろいろと拘束の多い本宿を嫌い、気楽に泊まれるというので好んで泊まる人も多かったようです。大野のますやさんに今でも伊勢参りの講の看板が多く残されているのを見ても、当時の賑わいが想像されます。特に十七世紀半ばから何度となく起こった「おかげ参り」の時などは本宿より活況を呈していたと想像されます。あのシーボルトがトキの剥製を買ったのは市場辺りの茶屋だったとか、名物番付に出てくる焼き鳥屋も市場辺りだったとか云われており、いろいろなお店が出ていたのでしょう。


そんなわけで大野には沢山の屋号が残っていて、今でも○○屋さんとお互いに呼びあっておられるようです。この屋号をいつまでも残していこうと、看板を付けさせて頂く訳ですが、例えば鈴木さんと呼ぶよりも、近江屋さんなんて呼ぶほうが、ちょっと風情もあるし、地域性があっていいのではないでしょうか。


土山の町並みを愛する会は、けっして昔をしのぶだけの会ではありません。昔のことを現代に活かし、土山らしい町並みと風情を残していこうとしています。その一つがこの屋号の保存なのです。


みなさんのご協力をお願い致します。


大野の看板

太閤さんの安楽越え =天下取りの夢を抱いて土山を行く= (2面)


今、NHKの大河ドラマで竹中直人扮する「秀吉」が好評ですが、皆さんは秀吉が土山から安楽越えをして伊勢に入ったことをご存じでしょうか。


織田家の家督相続を決する「清洲会議」への出席を拒否された滝川一益は、会議の結果に怒って反秀吉となり、柴田勝家の同志となりました。


そのころ羽柴を名乗っていた秀吉は、桑名城に籠る一益を討つために長浜を出て北伊勢に向かい、三方から兵を進めました。


弟の羽柴秀長を大将に土岐多羅越え、甥の三好秀次が率いる大君ケ畑越え、そして総大将の秀吉率いる安楽越えと、総勢七万五千の大軍勢だったそうです。


今では人も滅多に通らない安楽越えですが、この当時は主要道として大変重要な役割を果たしていたのです。


秀吉が安楽越えの途中、腰かけて休んだと言われる『太閤さんの腰掛け石』も伝えられています。


皆さんも昔、秀吉が天下取りをめざして通った安楽越えを歩いて、秀吉の夢に思いを馳せてみてはいかがですか。


安楽越え風景 三軍の経路

小説「門」に出てくる夏目漱石の友人は土山の人 (3面)


-安井は笑いながら、比較のため、自分の知っている或友達の故郷の物語をして宗助に聞かした。それは浄瑠璃の間の土山雨が降るとある有名な宿の事であった。朝起きてから夜寝る迄、眼に入るものは山より外にない所で、丸で擂鉢の底に住んでいると同じ有様だと告げた上、安井は其友達の小さい時分の経験として、五月雨の降りつづく折杯は、子供心に、今にも自分の住んでいる宿が、四方の山から流れて来る雨の中に浸って仕舞ひさうで、心配でならなかったと言う話をした。-


これは有名な漱石の「門」の一節です。ここに出て来る安井とは漱石自身の事であり、そして漱石の知っている或友達とは、本文からも判るように土山出身の人なのです。ではその人とは・・・。


漱石は東大を卒業後、松山中学で教壇に立ったり、英国に留学した後、明治四十年に朝日新聞に入社し、「三四郎」などの文芸作品を発表しました。一方、土山出身の青年は明治三十年に朝日新聞に入社し、文化の振興のための文芸家育成を必要と感じていたようです。当然、彼と漱石の間には深い交流があったものと推察され、その会話の一部が「門」に引用されたようです。


この青年はその後、朝日新聞の編集局長まで務めましたが、その職を辞してから、大正八年には読売新聞を買収して、社長に就任。また後年には満州日報の社長にも就きました。彼は国際視野を持つ経済ジャーナリストとして新聞社経営の近代化に力を尽くす一方、郷里土山への思いも深く、郷土の後進の育成にも心を砕きました。


死後、遺言により全財産を松山育英会に投じ、多くの郷土の学生を生み出しています。


偉大なるこの先人の名前は松山忠二郎氏、北土山の出身です。


松山忠二郎氏
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土山の町並みを愛する会

Author:土山の町並みを愛する会

東海道の宿場として栄えてきた土山の歴史と文化がなくなっていく現状をなんとかくいとめられないかと東海道五十三次シンポジウムや村おこしの参加者らが、発起人となり設立しました。土山らしい町並みの創造に向け広報、研修等に取り組んでいます。

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