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土山ろまん第10号

昔風の外観とモダンな店内が評判 (表紙)


江戸時代を再現するような建物がまた土山に出来ました。昨年10月にオープンしたうかい写真スタジオです。以前の店舗が県道拡幅のためにこぼたれた為、新たに建てられました。最初はどんな建築にしようかと思われたそうですが、自分が土山の町並みを愛する会の会員であり、商工会青年部の頃より東海道の宿場町の活性化を叫んできた立場もあるので、迷わずにこの和風の建物に決断したそうです。外観を見ると格子を一階から二階までうまく使い、屋根瓦の下の黒いしぶき板と白壁が良くマッチしています。車庫も工夫して違和感は感じません。よく見ると建物全体が非常に考えて設計されたと思います。夜に外から眺めるとウィンドウの窓から中のロールカーテンの紫色の光が美しく浮かび上がってきます。重みのある木の看板を眺めながら、格子戸風の戸を開け、中に入ると近代的な明るい雰囲気の店があります。お客さんも店内はモダンだが外観は昔風なので、良いお店が土山にできたと誉めてくれるそうです。時々格子の戸を自動ドアと間違われ、じっと待っているお客さんが居られるのが愛敬です。


写真の仕事はお客さんのフィルムを現像するだけでなく、冠婚葬祭や出張で建物を写しにいったり、カタログの写真を写したりと様々な仕事をするそうです。写真の技術の方も従来の銀塩の使用から、電子映像を取り入れた方法へと変わりつつあります。今後はそういう最新技術を早く導入し、賑わいのある町並みで地元のお客さんも、遠方からのお客さんにも喜ばれるようなお店にしたいと張り切っておられます。


うかい写真スタジオ

幻の里 五瀬村を語る (2面、3面)


松山 薫


五瀬は田村川の南、大沢山の北側山麓に位置し、僅かな耕地を開拓している。今は廃屋しか残っていないが、私の小学校時代にはまだ一、二軒の住居が有り、そのころ同級生が五瀬に居たのでよく遊びに行き、野山を駆け廻ったものである。だからこの村の地理には多少覚えがあり、後年、探索するに好都合であった。


江戸期、五瀬村は幕府領地とされ代官所支配となっていた。その石高は四六石一斗一升四合で、市の瀬村の石高四一石三斗七升七合と対比しても小さな村であったと思われる。(因に五瀬十軒という言葉もある) また和銅年間(七〇〇年頃)に五瀬に常明寺が建立されたと伝えられている。


二十年ほど昔、有志と共にその常明寺跡を探した事があるが、山中に屋敷跡と思われる小さい平地を見つけたものの、寺院跡とは確言し難い。また一株松神社へ登る途中、三畝ばかりの溜め池があるが、そこを左へ辿ると小高い丘の上に五、六基の石碑があった。確かめてみると古い僧職の墓石で、その戒名と年号を前の住職、塩沢玄泰和尚に問い合わせたが、寺の過去帳には記されていないとの事であった。またこの事を藤本彪三氏にも尋ねてみたが、それは常明寺とは関係ないだろうが、その付近に小さなお寺のような建物があったように思うとの事であった。


また一株松神社からさらに山中に入った所に台石らしきものがあったが、文字は刻まれていなかった。それを先の同級生に尋ねたところ、昔は立派な句碑が建っていたが、いつのまにか誰かに持ち去られたという事であった。そこでどんな句が刻まれていたかを古書に求めたところ、虚白禅師の「この山の雲となれかし櫻笛」と判明した。虚白さんはこの句碑の近くに沢山の山櫻の苗を植えて、その記念に一句を詠んだ。それを門人が石刻して、古人を偲ぶよすがとしたものらしい。


最後に虚白さんの「煨芋軒記」には江戸期の五瀬の風情がよく出ているので一部を紹介して、往時の五瀬を偲んで貰いたいと思う。


「あら金の土山なる西に川あり、内の白川と云ふ。水源を黒滝といへり。川の南に一村あり、五瀬村とよぶ。往古は御所村と云いしとなん。農家二十竈にみたず、富田、増山の二姓にして他姓をまじえず。故ありて公役をゆるさる。木樵を業とし筏をさして時々湖水に浮かぶ。(中略)一村の産神を一本松明神とあがむ。常には人の詣ずること稀なれば松柏覆茂り、紅葉散り埋み、群鹿常に遊び、雉子山鳥は庭鳥よりも馴れたり。(中略)


初冬、閑暇をぬすんで彼の草扉に到って眺望あれば、正面に三つ兒山、左に綿向山、右に聳えたるを龍王山とよぶ。日は鈴鹿より登り、月は飯道寺に沈む。春秋夏冬眼前に調ふたり。手を伸せは松菌を得、脚を下せは自然薯蕷あり。景あり、色あり、ここに何かを望む。」


五瀬 廃屋

旅人日記より (4面)


(その1) 15年がかりの旅


15年ががりでやっと旧東海道踏破、そして季節の都合で残っていた鈴鹿から甲賀への路でとても素敵なお店、人と出会えて、本当に幸せです。日本橋を出た時は若かったけど、すっかり年を重ねて、でも想い出も重ねて、くり返し思い出せる宝物でいっぱいになりました。


(その2) 小学生の時から


東海道五十三次を日本橋から歩いています。二泊三日を一行程として小学2年の時から高校3年の今まで歩きました。あと一日で終了の予定です。関から土山まで色々な人に出逢いましたが、すれ違う時に必ず挨拶してくれるので嬉しかったです。東京では、まずあり得ないことです。おいしいぜんざいをありがとうございました。とても体が冷えていたのであたたまりました。又がんばって歩きます。

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土山の町並みを愛する会

Author:土山の町並みを愛する会

東海道の宿場として栄えてきた土山の歴史と文化がなくなっていく現状をなんとかくいとめられないかと東海道五十三次シンポジウムや村おこしの参加者らが、発起人となり設立しました。土山らしい町並みの創造に向け広報、研修等に取り組んでいます。

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