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土山ろまん第6号

看板・・・ この楽しきもの (表紙)


あっと驚くような華麗なテレビメッセージ、夜空に光り輝く広告塔、毎朝届けられる新聞広告に、おびただしい量の折込広告。現代の広告のメディアは多種にわたり、しかも日々新しい手法を持って我々に迫ってきます。私たちの小さな町でも折込広告はもとより、お店の名入りの小物や、看板などで色々と広告がなされています。


さて、この中の看板ですが、その歴史は古く、奈良時代から登場してきました。特に江戸時代後期には商業の発達と共に数多くのお店に看板が掲げられ、さまざまな意匠と造形で人々の目を楽しませたのです。


現代の看板はどうでしょうか。一号線を通ると数多くの野立て看板が林立し、けばけばしい電飾看板がこれでもかこれでもかと、我々の目に飛び込んで来ます。よく目立ちはするけれど、しかし、見て楽しいものは少ないように思われます。


土山の町並みを愛する会ではこんな看板ではなく、もっと落ちついた、見て心のやすらぐような看板をかかげませんかと提案しています。決して懐古趣味ではなく、そのお店ごとのイメージをほうふつとさせるような看板は訪れる人の気分を楽しくさせ、ひいては商売にプラスになるのではないでしょうか。


商店だけでなく、一般のおうちでもその家に伝わる屋号の看板をあげるのもいいものです。町なかでは今でも屋号で呼びあう事があります。それを書いた板を吊して置くだけでもちょっと洒落た感じになるのではないでしょうか。


費用もそんなに掛かりませんし、みなさんのちょっとした遊びこころでこの町を楽しいものにかえてみませんか?


うかい写真スタジオの看板 うかい屋の看板「質・菱屋跡」

土山本陣に残るケンペルの宿帳 (3面)


江戸時代中期に「日本誌」を著し、当時の日本の姿を欧米に広めたケンペル。彼はドイツ生まれだが、オランダの東インド会社の医師として、元禄三年(1690年)に来日、翌四年と五年に商館長の江戸幕府に随行。「日本誌」はその時の見聞を元に、1727年に英訳出版されている。この中にわが土山も登場する訳だが、その事を裏付ける資料が土山本陣に残っている。


 元禄四未二月四日 泊り 金四両


一、阿蘭陀人 七拾壱人 遣用人


  下り     下宿 一軒


 元禄五申□月十六日 泊り


一、阿蘭陀人 金四両 遣用代


  上り     下宿一軒へ


と、この様に書かれている様だ。


江戸参府の道中(出島~江戸)は長い道のりだがはっきり残っている資料はほとんどなく、この土山本陣の宿帳は貴重な資料として、歴史家などの注目を集めている。


土山家が本陣職を拝命したのが1634年(寛永十一年)、ご存知のシーボルトが来日したのが1823年(文政六年)だから、このケンペルの資料がいかに古く貴重なものかはご理解頂けるだろう。


土山本陣の宿帳にはこの他にも様々な貴重な資料がかくされている。もちろん土山家の大切な宝ではあるが、土山町の宝として、いつまでも大事にしていきたいものである。


ケンペルの宿帳
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土山の町並みを愛する会

Author:土山の町並みを愛する会

東海道の宿場として栄えてきた土山の歴史と文化がなくなっていく現状をなんとかくいとめられないかと東海道五十三次シンポジウムや村おこしの参加者らが、発起人となり設立しました。土山らしい町並みの創造に向け広報、研修等に取り組んでいます。

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