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土山ろまん第4号

土山らしさを誇りとして・・・ (表紙)


昨年、あいの丘に完成した「あいの土山文化ホール」で、成人式が華々しく開かれ、百数十名の新成人が誕生した。


この建物は、土山が東海道の宿場として繁栄した歴史をイメージさせる和風の美しい外観になっている。国道を走っていて、白川橋辺りから鈴鹿の方を望むと山の間に美しくそびえるこの建物が目に飛び込む。


土山らしさを漂わせるこの建物は、私達住民の心に誇りを抱かせ、全国へ、世界へ飛び出そうとする時に、勇気づけられる頼もしい心のよりどころとなるだろう。全国どこへ行っても大して変わらぬ雑然とした町が多い中で私達の土山町が数少ない「特色のある町」と言える様になりつつあるのだからそれは当然だろう。


そしてこの文化ホールが土山の文化の殿堂として、また二十一世紀の土山を担う核として、大いに活用され、外からの文化を吸収するとともに、新しい文化を創造し、また土山の伝統を明日に伝えていく事が期待される。


成人された皆さんも、二十一世紀には土山町を担う人材として大いに活躍されている事だろう。


あいの丘には、図書館と歴史資料館の建設も計画されている。


ともに土山町を愛し、土山らしさを誇りとして全国へ、全世界へと飛躍する様な、そんな夢が『あいの丘』の整備事業でかなえられる事を望んでいる。


平成4年1月15日 成人の日に

土山の美女・・・の孫は何と、暴れん坊将軍! (3面)


テレビでおなじみの徳川八代将軍吉宗公は紀州徳川家の出でありますが、そのおばあさんは土山の人であったと言う説があります。


頃は元和五年七月、家康十男の頼宣公が紀州入りの為、土山町猪鼻を通りかゝられた折、沿道の人々の中に、ひときわ目立つ絶世の美女が居るのに目を止められました。「何か子細ありそうな」と、人をやって調べさせると、かの女性は、関ケ原で敗れた黒川城主、黒川盛治の娘かね子で、その弟庄之助も伊豆に流されているとの事でありました。これを知った頼宣公、早速かね子を側室に迎え、弟も旗本に加えて盛至と名乗らせ、黒川家を再興させました。


やがて、かね子は男子を出産、この子が紀州徳川家の三代目を継いだ為、藩主の生母として「おかねの方」と呼ばれ、二の丸に住まわれました。更に紀州徳川家の五代目吉宗、即ち、八代将軍吉宗公の祖母でもあると言われて居ります。


一方、黒川家の方も代々栄え、幕末には黒川近江守盛泰が江戸南町奉行を命ぜられています。今でも黒川の川西には黒川侯歴代墓所が現存して居り、毎年七月末日には地域の人達が清掃奉仕をして、黒川のお殿さま方の遺徳を偲んでいます。


(参考 中西義考氏著書)

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土山の町並みを愛する会

Author:土山の町並みを愛する会

東海道の宿場として栄えてきた土山の歴史と文化がなくなっていく現状をなんとかくいとめられないかと東海道五十三次シンポジウムや村おこしの参加者らが、発起人となり設立しました。土山らしい町並みの創造に向け広報、研修等に取り組んでいます。

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